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和銅2(709)年創建と伝えられる神社。鍬山宮、八幡宮二棟の本殿(京都府登録文化財)を有し、大己貴神(大国主命)、誉田別命(応神天皇)を祀る。紅葉の時期には、本殿と境内が燃えるような赤色に包まれ、一面に荘厳な雰囲気が漂います。
和銅3年の創建。祭神の木俣命が保津川を鯉に乗って上がってきたと伝えられ、通称「鯉明神」といわれています。この地域ではでは鯉を神の使いと考えられ、鯉を食べず、鯉のぼりも揚げない風習が伝わっています。
縁結びで有名な神社。境内には、参拝者がお守りの赤い糸を結ぶ「夫婦岩」や、御神体山の御影山(みかげやま)から湧き出る霊水「真名井の水」などもあり、見どころが沢山あります。真名井の水は汲みに来る人々で列になることも。本殿は国の重要文化財に指定されています。
伝教大師最澄が開き、大師自ら彫られた本尊木造薬師如来坐像がまつられています。天正3(1575)年に、本堂などは兵火によって焼失しますが、ご本尊は信者達によって山中に隠され難を逃れたと伝えられています。「佐伯薬師」さんとして親しまれ、国の重要文化財に指定されています。
足利尊氏ゆかりの神社。1333年、高氏は1万騎あまりの軍をこの地に集め、源氏復興を願う願文や鏑矢を奉納し、旗立楊に白旗を立て、六波羅探題を攻め倒しました。現在でも白旗が翻った場所には楊の木がそびえ、往時を偲ぶことが出来ます。
丸岡城址(余部城)の本丸跡にあり、小高い丘に位置します。明智光秀による丹波平定の折に落城し、砦として機能しました。現在でも「古城(ふるしろ)」などの地名が残っています。
江戸時代を代表する画家・圓山応挙と所縁が深いことから「応挙寺」とも呼ばれています。応挙は、幼少時期(8歳~15歳頃)に金剛寺で小僧生活をおくり、その後京都へ出て、圓山派を樹立しました。応挙56歳のとき、本堂全面の襖と壁面57面に「山水図」「波濤図」「群仙図」を描き寄進し、現在は国の重要文化財に指定されています。
大同元年(806)の創建。薭田野神社とともに佐伯灯籠祭を担う、四社のうちの一社です。境内には巨木が繁茂し、とりわけ樹齢800年ともいわれる椋の大樹が神域を保っています。