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明智光秀
明智光秀~1人でも多くの人に知ってもらいたい~
余部丸岡城跡(西岸寺)
明智軍侵攻に伴い、周辺の城や砦の諸将たちは戦わずして服属したもののほか、城を捨てて逃げたものが大半でした。その中で余部丸岡城の福井因幡守貞政は籠城し、頑強に抵抗するものの討死しました。
谷性寺
通称「光秀寺」と呼ばれる、不動明王を本尊とする真言宗大覚寺派のお寺。明智光秀は丹波攻略の際、この不動明王を尊崇し、その御加護を受けたといわれています。現在では光秀のものと伝わる首塚が境内に安置され、門前では初夏に「ききょうの里」が開催されます。
神藏寺
伝教大師最澄が開き、大師が彫った本尊木造薬師如来坐像が祀られています。天正3年(1575)、明智軍侵攻の兵火により焼失しましたが、本尊は山奥の川に隠して難を逃れました。西国薬師第43番札所。
愛宕神社
「時は今 天が下しる 五月哉」本能寺進軍の前に明智光秀が詠んだ有名な句は、ここ愛宕神社で催した連歌会でのこと。神事を重んじる光秀は、丹波亀山をほぼ手中にした後、たびたび愛宕神社に参拝したといわれています。
御影山城跡
明智軍侵攻に際し、国人衆が防戦したと伝えられる御影山城。御影山の麓に位置し、この山をご神体とする出雲大神宮は縁結びで有名です。
丹波国分寺跡
明智軍侵攻の兵火により焼失しました。山門は亀山城の雷門に、また毘沙門天は亀山城内に鎮守されました。(現在毘沙門天は聖隣寺に移されています。)
山本城跡(如意寺)
京都から最も近く丹波の東に位置する山本村の木村駿河守は、明智軍の要請に応じて城を明け渡し、明智軍侵攻の案内役は宇野豊後守が務めました。
神尾山城(本目城)跡(金輪寺)
丹波亀山西方面の要衝とした山城で、丹波攻略戦で降参した波多野秀治が八上城からこの城に送られました。その後、秀治は安土に送られ処刑されます。
八木城跡(神前北山城)
内藤氏の居城。丹波亀山から西への攻略の足がかりとしました。
千手寺砦跡(千手寺)
千手寺を砦として利用し、隣接する八木城攻略の拠点としました。
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